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Electrostatic Storage Ring
静電型イオン貯蔵リングによる分子科学の研究
 


1.静電型貯蔵リングの誕生

1990年代に入って、ビーム貯蔵リングを使った原子物理研究がめざましい発展をとげた。とくに、重イオン蓄積リングTARN IIでは、この分野をリードする先駆的研究が行われた。近年、研究対象は、重いイオンヘと移りつつある。

これらの研究において、イオンを貯蔵するリングは電磁石で構成されるシンクロトロンであった。分子イオンは、電荷は小さく質量が大きいため、質量が大きくなるにつれて磁場を用いたリングでの貯蔵が難しくなる。

それに対して、電場だけで構成されるリングでは、リングのサイズはイオンのエネルギーで決まる。イオン源からえられるイオンのエネルギーは質量によらないので、静電型リングに貯蔵できるイオンの質量には限界は無い。しかも、静電型リングは、電磁石を使うリングに比べて小型で軽量、まさに卓上にのる重イオン貯蔵リングが安価に作れる。

2.貯蔵リングによる分子科学の研究
貯蔵リングによる原子・分子の研究の特徴は、貯蔵中にイオンが励起状態から光子を出して基底状態に落ち着くことを利用するという点にある。このようにして得られる量子状態の確定したイオンに電子やレーザー等をあて、その反応を通して原子過程に関する高精度の研究が可能となる。さらに、イオンは同じ軌道上を周回するので、強度の強いパルス状ビームを一回入射すればその強度を長い時間にわたって維持することができる。したがって、イオンと電子の衝突実験では高いルミノシテイ(反応の起りやすさの指標)が得られる。

今回の計画の狙いは、静電型貯蔵リングを実用化することによって、タンパク質のような巨大分子の研究など、原子物理を超えたさらに高度な研究への展開を図ることである。

3.KEKの静電型貯蔵リングの特徴
静電型貯蔵リングは、外国ではすでにAarhus大学で作られ、数十秒のビーム寿命が観測されている。しかし、ビーム強度が5 ナノ・アンペア 以上になると、ビーム寿命が急速に短くなるという問題点が起きていた。 KEKではこの難点を克服するリングを建設し、100 ナノ・アンペアでも数十秒間ビームを貯蔵することが可能になった。加速器のレイアウトを第1図に示す。以下に、装置の概要を要約する。
イオン源:ECRイオン源(2.45 GHz)から比校的軽い原子、分子イオンが得られる。さらに、巨大分子用 electrosprayイオン源とイオントラップによって、タンパク質などの生体分子イオンのパルス状ビームを強い強度で発生させることができる。
差動排気系:イオン源の真空度10 -6 Torr に対してリングの真空度は10-11Torr であり、この差をうめるため、クライオポンプなどを用いた強力な差動排気系が設置してある。
質量分析器:イオンをリングに入射する前にイオンの選別を行う。分子量の増大に伴って高分解能で磁気剛性が大きく、明るい質量分析器が必要となる。また、差動排気のためにビームパイプの径をせまくしてあるので、内部でビーム径を広げない工夫が必要である。このような要求を満たすために、球面型静電デフレクタ(ビーム偏向器)と斜入射型偏向電磁石を組み合わせた質量分析器を建設し分解能 4000 が得られている。
リング:Aarhus大学のリングではデフレクタを球面にしたため、高次の収差等によってイオンが失われると推定されている。本装置ではデフレクタを円筒型として収差の影響を軽減している。リングにはデフレクタのほかに、集束用四重極静電レンズ、加速装置、ビームモニタ、真空槽がある。リングのサイズは4 m x 0.5 mのレーストラック型である。
電子ビーム標的:電子とイオンの衝突研究を行うための電子ビーム装置である。構造は電子冷却装置(低温電子ビームとイオンビームを合流させてイオンビームの温度を下げる装置)と同じで、電子はリングの外でつくられた後リングの直線部に導入され、20 cm の長さにわたってイオンと同じ軌道上を進む。電子エネルギーは1-100電子ボルト、最大電流は 2 ミリ・アンペア、衝突点での電子ビームの直径は2 cmである。また、電子ビームを断熱膨張させることによって電子温度を下げている。


4.建設の経緯、今後の計画

研究の第一段階として、ECR イオン源から得られる各種原子、分子イオンをリングに入射し、寿命測定を行なった。原子イオンの場合、質量の増大にともなって寿命がのび、Xe+ では50秒に及ぶ。また、100 ナノ・アンペア 程度までは貯蔵イオンの寿命が入射強度に依存しないことがわかった。この強度は、原子衝突の研究に必要な強度の要求を十分満たしている。

研究の第二段階として、生体分子イオンをリングに貯蔵する実験を行った。通常、electrospray イオン源からのビーム強度は10 ピコ・アンペアのオーダーであるが、イオントラップに貯蔵し、パルスビームにすることによって強度を数万倍に増幅することができた。生体分子はもろくて寿命が短いように思われがちであるが、測定によって10 秒以上の寿命があることがわかった。現在までに分子量 66,000 のアルブミンなど多数の生体分子イオンを貯蔵した。

研究の第三段階として、生体分子イオンと電子の衝突実験を開始した。一般にイオンと電子が衝突すると電子がイオンに捕獲され、その際の結合エネルギーで分子が分裂する。このような電子捕獲、解離過程を生体分子イオンについて研究している。研究は始まったばかりであるが、アミノ酸、ペプチドなどに関する興味深い結果が得られている。

今後も各種生体分子イオンと電子の衝突実験を推進する。もっと重い DNA イオンなどの貯蔵と電子衝突も試みる。このように、周囲の分子からの影響がない真空中で 単体の生体分子と電子との衝突研究が可能であることは本装置の大きな特徴である。

5.付言
この研究は平成11年度科研費補助金基盤研究A(2)の援助を得てスタートした。
6.本研究についてさらに詳しいことは、
研究代表者加速器研究施設 田邊徹美 までお問い合わせ下さい。




第1図 静電型イオン貯蔵リングのレイアウト



第2図 静電型貯蔵リングの配列



第3図 リングの写真 



第4図 電子ビーム装置の写真